「私は二歳」
これは巨匠・市川崑監督が、松田道雄の育児評論をもとに、若い夫婦が初めて経験する子育てを面白おかしく描いたファミリー・コメディだ。
都内の団地に住むサラリーマン夫婦の間に息子太郎が生まれ、一家は新たに祖母を迎えるが、太郎の病気やケガ、いたずらに振り回されて、てんやわんやの毎日・・・。
◇ いつの時代も子育ては大事業だ
太郎くん(○歳→二歳)は都内の団地に住むサラリーマン夫婦、小川五郎{船越英二)と千代(山本富士子)の一人息子として生まれた。
両親は太郎くんを育てるのに毎日毎夜一生懸命だ。太郎くんが笑ったといっては喜び、ヨチヨチあるいたといっては歓声をあげ、団地の階段を高いところまで這い上がったといっては仰天する始末。
両親は太郎くんを眼の中へ入れても痛くないほどかわいくて仕方がない。だが、両親のそんなかわいがり方は、太郎くんにとって迷惑かも……。
日曜日、五郎はターちゃんの寝る柵を慣れない手つきで作っている。千代、美容院から帰ってくる。
「ちゃんとご飯たべさせてよ。こんなに残しちゃって」
「俺だってターちゃんのために汗水流して柵を作っているだろ」
「私はターちゃんにご飯食べさせるのに、毎回1時間はかかるのよ、用意に30分、合計4時間半はあの子の食事に取られちゃう。あなた、会社で仕事してるのは4時間くらいでしょ、あとはタバコ吸ったり、野球の話ししたり・・・」
口げんかになる二人。ふと気がつくとターちゃんがいつ柵から出たのかノコを手にして遊んでいる。驚いてノコを取り上げる二人。
ターちゃんの声。
『ネジをはずしたり紐をほどいたりするのはとても難しいんだ。ぼくはそれが出来るようになったんだ。なんで素直に褒めてくれないんだろう。アラ探しばかりするから大人はいつも不幸なんだ』
◇ 子供中心の生活 それは楽しみでもあり 苦労の連続でもある
二人は太郎を動物園に連れていく。太郎が迷子になり、大騒ぎ。
迷子の子供たちの声、
『ぼくは迷子じゃねえよ、親父の方が迷ってどっかへ行っちまったんだ』
『自分の子供を見失うなんて、よっぽどどうかしてるな』
『うるせえな、よく泣きやがる。泣き声なら俺が一番大きいぞ』
両親が太郎を引き取りに駆けつけてきた。
「俺がちょっとトイレに行ってる間に子供を見失うなんて、なってないよ。それでも母親なのか、あきれたよ、もっとしっかりしてくれなきゃ、母親失格だぞ」
「私、帰らせていただきます どうせ私は無責任で低脳で母親の資格なんかないんです 里へ帰らせていただきます」
「ちょっ、ちょっと待てよ、人が見てるじゃないか。ね、謝る、許してください」
五郎、千代に頭を下げる。
太郎、夜泣き出す。もてあます二人。
やっと静かになり電気を消すとまた泣き出す始末だ。
『ボクは眠くないんだ。元気イッパイなんだ。昼間眠り続けたから、ちっとも眠くないんだ。ボクは遊んでほしいだけなのに。察しの悪い親は困りもんだよ、ほんとに』
あくびをしながら、太郎と遊んでいる五郎。
◇ 団地住まいから祖母と同居することになり・・・
転居によって新しい家族に祖母をくわえ、郊外の平屋に住むことになった。おいたに、怪我に、自家中毒、風邪等々、両親や祖母の神経が休まる暇もない。それに母親と祖母のしつけ方のくい違いがあったり、父の勤務先のごたごた・・・。
突然そんな太郎中心の生活に祖母の死がおとずれる。しかし、太郎は人間の死ということを知らないのだ。おばあちゃんは遠い遠い所へ旅行に行ったと信じこんでいる。
丸い大きな月の昇ったある夜、太郎は小さなバースディ・ケーキと二本のローソクの前に座っている。ローソクの小さな炎が太郎と両親の顔を柔らかく浮き上がらせ、太郎は心の中で呟くのだ。「ボクは二つになった。だからローソクも二つだ。ボクは今日から二歳」
さすがは市川崑さんだ。育児の教科書としてもよく出来た映画である。最近は育児で悩む若い母親が多い。そんな人たちにこの作品を見て欲しいと思う。
”古い映画”で片付けるには惜しい傑作だ。育児の本質は今も昔も変わらない。夫婦の共同作業で子供たちを育てていくのであろう。いや、子供に育てられるのかも分からない。
お富士さんと船越の夫婦役もなかなかいい味を出している。
1962年 大映・カラー 監督 市川崑 出演 船越英二 山本富士子 鈴木博雄 岸田今日子 浦辺粂子
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